megspoonのブログ

機能不全家族の末路

夜の公園で勉強

私の父は何でキレるかわからない人間でした。
ただそこにいるというだけで、 父は私を怒鳴りつけたのです。
何か悪いことをしたから 叱られるのではなく 、良いことをしようと 、悪い行いをしようと関係なく、父は暴言を吐き暴力を振るってきたのです。

夫婦喧嘩は日常茶飯事で、誰が呼んだのか分かりませんが、 警察が家に来ることもありました。

毎日毎日繰り広げられる 醜い喧嘩。汚い言葉使いと怒鳴り声。罵り合い。まるで動物のように、お互いが掴みかかり、レスリングのように倒したり倒されたりの喧嘩。

人間はよくも悪くもその環境に慣れてしまうのか、どうやったら静かな環境で勉強できるんだろうかと、冷静に考える自分がいました。両親の醜い喧嘩は腹立たしく悲しい気持ちはありましたが、「うるさい!勉強が出来ない!」と、いくら 叫んでみたところで喧嘩が収まる事は1度もありませんでした。


私は高校生の頃部活はせず、学校が終わるとそのまま図書館に行き閉館するまで勉強していました。
その後は家で適当に食事をした後、公園で勉強するのが常でした。

外灯がある 一番明るい場所がブランコのあるところです。私はブランコに座り、膝の上にノートと教科書を置いて勉強しました。

夜の外灯には羽虫が寄るため、
私の教科書は羽虫だらけになったのです。
押し花ならぬ押し虫で、教科書が薄茶色く汚くなりました。それでも家で勉強するよりはマシだったのです。


今考えれば、真っ暗な夜の公園で 若い女性が1人でいるというのは、大変物騒だなと、とても怖く感じます。ですがその当時の私は感情が麻痺していたのか、怖いという感情すらも感じなかったのです。
と言うか抑圧して感じなくしていたのでしょう。


当時は
「あんな 親のような人間に絶対になるものか!」
「こんな生活は絶対にしたくない!」
「頑張って勉強して、出来るだけいい大学に入ろう」
「そして稼げる人間になり、早く家を出よう」


家庭環境が悪いのは私に責任はない。でも、努力しないのは自分に責任がある。自分に出来る最大限の努力をしよう。


後悔しないように、親を反面教師にして勉強しました。
ですが、後に気が付いたのです。私が一生懸命勉強してきたのは、単なる「慰み」だったのです。


自分の将来のため、親を 反面教師として頑張ってきたわけではなく、自分の「居場所」が欲しかったのです。


不良になるほど私には勇気がなく、ただただ自分を支える「 何か」が欲しかったのです。


勉強している間は辛い出来事を忘れることができました。
何かに集中していると、寂しさや 辛さ 悲しさを忘れることができたのです。


私は勉強している間だけが
唯一の「慰み」になり、自分の「居場所」となったのです。